くるみのお話 くるみのお話

くるみのお話

くるみは使い道たくさん!

くるみといえば美味しい実だけが主役のようですが、実を食べるだけでなくその殻にも様々な使い道があります。

例えば殻をマルチングの材料にすれば見た目もかわいく雑草を抑えられますし、固くて丈夫な殻の独特の形を生かしたハンドクラフトも盛んです。

またくるみの殻を燃やした灰をガラスの原料と混ぜると淡い緑色の美しいガラスとなり、地元のガラス工房で人気となっています。

Episode I

くるみは栄養豊富なスーパーフード!

くるみは美味しいだけではなく、様々な栄養を豊富に含んだ食品です。

例えばくるみはナッツ類の中でもオメガ3脂肪酸を最も多く含んでいます。オメガ3脂肪酸とは、青魚などに含まれるDHA、EPAと同じ仲間の脂肪酸です。

動脈硬化を防ぎ、コレステロール値、中性脂肪値を下げ、心臓病、がん、脳溢血・脳卒中、糖尿病、高血圧、肥満など、いわゆる生活習慣病予防に効果を発揮すると報告されています。さらに抗酸化値がナッツ類で最も高いとされ、加齢による慢性疾患の予防作用の可能性があることも示唆されています。

また健脳成分といわれるレシチンやビタミン類も含まれています。レシチンは脳の神経細胞と神経細胞の間のつながりをスムーズにする働きをする他、頭の働きを良くし、記憶力を向上させるために必要な栄養素です。

このように栄養豊富なくるみですが、人類はその効能が分かる前からくるみを大切に育てていました。次はくるみの歴史についてお話します。

Episode II

くるみの長い旅

くるみはもともと世界各地に原生していたとされますが、栽培に適した可食部の大きなくるみは西アジアのカスピ海を中心とした地域(ペルシア周辺)が原産地と言われています。
ペルシア原産とされるくるみ(セイヨウクルミ)は歴史の移り変わりとともに、ペルシアからギリシャへ、ギリシャからイタリアへそしてヨーロッパ各地へと西周りに伝わりました。日本へは当時ヨーロッパからの移住者を受け入れていたアメリカから伝わったとされており、1881年に軽井沢に来ていたアメリカ人貿易商よりセイヨウクルミの種を譲り受けたことから栽培が始まったとされています。

先にヨーロッパ経由の西回りの伝来をご紹介しましたが、実はもっと早い時期に東回りの伝来がありました。それが最初に日本に栽培用として伝来した同じペルシア原産のテウチクルミと呼ばれるくるみの伝来なのです。

テウチクルミが日本に伝来したのはペルシアからシルクロードを経由した東回りのルートで、いち早く栽培が始まっていた中国や朝鮮より江戸時代初期、遅くとも1696年頃には伝わり栽培が始まっていきました。

こうして西アジアから地球を東西に分かれ何千年もの間旅したくるみは、再び日本で出会いました。
長野県東御市はくるみの生産量日本一を誇りますが、盛んに栽培されているくるみはシナノクルミと呼ばれる品種で上に記しましたテウチグルミとセイヨウクルミの間生種とされています。シナノクルミは実が大きく育つため可食部が大きく、また皮が薄いため容易に割ることができ実が取り出し易く、そしてなによりも味が良いのが特徴です。

ではなぜ日本のどこでもなく、この長野県東御市が一大産地となったのでしょうか。次は東御市とくるみのかかわりについてお話します。

Episode III

東御市とくるみ、花岡の関係

長野県では1880年代から栽培が始まったくるみですが、栽培の中心となったのは現在の東御市(旧和村)でした。同村では1915年に大正天皇の即位御大典記念として全戸にくるみの苗木を配布し、その栽培を広く奨励したためです。この事業がきっかけで人々にとってくるみが身近な作物となったのですが、くるみの産地としての道は容易なものではありませんでした。その時に植えられたくるみの木は1959年におきた伊勢湾台風によって被害を受け、ほとんどが全滅してしまったのです。

またくるみは一本の木で雄花と雌花を咲かせますが、その開花にずれ(雌花が先に咲き1~2週間後に雄花が咲くなど)があり人工授粉をしない限り一本だけでは実を付けにくく、実をつけるには開花の時期の違う2種以上の品種を植える必要があります。このことにより品種が混ざりやすく、くるみの優良品種の確立を難しくしていました。

現在は地元の方々や農業関係者の方々の地道な植え付けによりくるみの生産量も年々増え、優良株をあつめて接ぎ木を繰り返すという年月のかかる作業により優良品種も確立され、その苗木が出荷されるまでになりました。今現在に至るまで東御市をくるみの一大産地として支えているのは、何よりも地元の人々のくるみに対する愛情と農業関係者の方々のたゆまぬ努力によるものです。

御菓子処花岡はここ東御市で大正元年(1912年)から100年余り、四代にわたってお菓子作りをしてきました。この歴史はこの地がくるみの産地として歩んだ歴史と重なり、くるみは常に生活のそばにあり欠かせないものでありました。日本一のくるみの里で生きるものとして、くるみの美味しさ、そして魅力を皆様にお伝えしたい。そんな気持ちでこれからもくるみとお菓子に愛情をそそいでまいります。

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